和美活 美を繕い 和の技に触れ 和の心を感じる 内外に感じる本物の美

松井紀子

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名前
松井紀子
紹介文
1984年南砺市城端生まれ。高校卒業後、上京。

大学卒業後は家業である絹織物業を継ぐように言われるも、東京に残り、全く畑違いの証券界社にて有意義な社会人生活を送る。2010年、上京した父とともに客先を訪問したことがきっかけで「人生にリハーサルなどない!」と思い、その年の夏に1877年より続く家業を継ぐ事に。

かつては「城端は機の声の町なり」(柳田国男)と言われていたほど街中で機の音が響き渡っていた。その機の音を絶やしてはなるまいと、現在、現場で修行を積むとともに、しけ絹の新たな販路開拓に力を注いでいる。
ウェブサイト
http://www.shikesilk.com/
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【城端絹について】城端絹の起源は、今から約430年前、戦国時代末期の天正時代に畑氏によってここ城端で絹織物が始められたと伝聞されています。

江戸時代には、城端と小松で織られた絹織物が「加賀絹」として加賀藩によって庇護され、城端の絹織物業も隆盛となりました。

元禄時代、絹織物の消費が盛んになり、京都・大阪市場から大消費地である江戸市場へも城端絹の販売を行うようになりました。
元禄六年(1693)の記録によると、問屋制家内工業の段階であったので、城端の戸数689軒中375軒が絹織物に関与していたと言われています。

明治39年、当時26歳の若さで城端町会議員となり、後に織物組合理事長となった岡部長左衛門の働きにより城端でも羽二重と絽の製織を行うようになりました。それまでは五箇山(岐阜県との県境)の生糸をタテ糸に、福光町(現:南砺市福光)の玉糸をヨコ糸に使用した「しけ絹」が主な生産品目でした。現在富山県で「しけ絹」を製織しているのは弊社のみです。